シェーグレンの母の心臓病児の出産記

これは、シェーグレン症候群であるがゆえに、
先天性心疾患の子供を出産した私の記録です。
医療知識ゼロの私が、
11年前の記憶をやっと呼び戻して書きました。

あやふやなところなどありますが、ご了承ください。

※SS−A抗体が陽性のシェーグレン患者の母親から
生まれる子供に、”先天性完全房室ブロック”という心臓病
があらわれる事があります。

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健康そのもの?だった私

出産する前の私は健康そのもの!(のつもり)
そりゃあ、ちょっと風邪をひきやすいし、
体力もない。でも、頑張れば徹夜だってするし、
これといった大病なんかした事も無く、
楽しいOL生活を満喫していたんです。

ちょっと気になる事もありました。
体中に発疹が出た事。
でも、結局原因不明のまま、直ってしまったし、
その頃から感じ始めた、異常な倦怠感も、
今まで仕事で無理をしたツケが回ってきたのだろう、
気力で動けばそのうちなくなるさ、と、思っていました。
それと前後して繰り返されたがま腫も、
それが何かの病気との関連性があるなど考えもつかず、
もちろん、膠原病という言葉の存在さえも知る由もありませんでした。

  もしもその頃、私がそれからの人生を予想したとしたならば、
これからの人生も、沢山働いて、沢山遊んで、
そうして平凡にしあわせにくらしていく、
そんな私の人生であろうと予想していたでしょう。

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ルンルンの妊婦生活♪

赤ちゃんがおなかの中にやってきたとき、
結婚後2年、私たちは待ち望んでいた妊娠でした。
もちろん、つわりもありましたが、
切迫流産もなく、順調な妊娠生活。
大きなおなかを抱えて働く自分の姿がちょっぴり誇らしく感じました。
せっかく妊娠したんだから、妊婦生活を楽しまなくっちゃね、と、
マタニティー雑誌を買いあさり、 最新情報をGET。
ルンルンの妊婦生活でした♪

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事件は妊娠8ヶ月目、心音が普通の胎児の半分以下!

その日も、お腹の赤ちゃんはご機嫌。
ぐりぐりっと動いたり、時々しゃっくりをしたり。
出産予定の病院へ、いつも通りの検診に出かけました。
ところが、ドップラーで赤ちゃんの心音を聞く医師から、
思いがけない言葉が。
「赤ちゃんの心音が異常に遅すぎる」


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命が助かったとしても、脳に障害が出るかも・・・

そこは、産婦人科の専門病院。
お産や婦人病のスペシャリストは沢山いても、
新生児の心臓病に詳しいわけではありません。
「赤ちゃんの命が助からないかもしれない。その覚悟だけはしておいてください。」
「たとえ、助かったとしても、心拍数がこんなに遅いのなら、
脳に血液が充分に届いていないかもしれない。
その影響で、脳に障害が出てしまうかも・・・」

それは、ショックというよりも、何か、ドラマを見ているような、
他人のことを見ているような、そんな感じでした。
それでも、夫と二人で、
「たとえ、脳に障害をもって生まれてきたとしても、
私達の大切な子供。みんなで背負っていこう」と、話し合いました。

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一人の医師の助言

赤ちゃんの心臓に何かが起こっている事は分かったものの、
どういう手をうつかでドクターの見解も分かれました。

「流れてしまう子供は、それなりに理由があるもの。
必要以上に現代の高度な医療で、無理やり助けても、
その子供にとって良いかどうか・・・」という意見も、
その時の私達にはそのようにも思え、
あとは、赤ちゃんの運命に期待するしかないのか、と、
あきらめていました。

その矢先に、一人の若い医師があらわれました。
ジャジャジャーン!今も、私は、この医師が、
ピンチを救いに現れたスーパーヒーローのように思えてなりません。
その医師は、週1回、その病院に来ていて、
その日はたまたまその曜日にあたっていたのです。
心臓病では、日本で屈指のT大学病院にもかかわりのある方で、
「T大学病院でなければ安心できない、しかし、
T大学病院ならば、くいの無い医療がうけられる。」
と、T大学病院の産婦人科の教授であるN医師に紹介状を書いてくださいました。


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T大学病院に入院、出産

その後、すぐにT大学病院に入院、
小児循環器科、産科、小児科のチームで経過観察をしていましたが、
36週目、このままでは赤ちゃんが危険な状態になるという事が懸念されたため、
全身麻酔の帝王切開術で出産しました。
2,218g、女の子。ちょっと小さいけど、大きな産声だったそう、
とりあえず、産科小児科の総合医療センターのCCUで様子を見ることに。
麻酔から覚めた私は、まだベッドから起き上がる事も出来ず、
看護婦さんから、インスタント写真で撮った我が子の姿を見せてもらいました。
いろいろな機材をつけてはいたけれど、
元気に泣く我が子の姿に、安堵の思いでした。

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循環器科に移動、手術

安心したのもつかの間、娘の容態がかわり、循環器科に移動することに。
移動の前、私は車椅子に乗せられ、娘と対面。
これが、写真でないはじめての娘との対面でした。
娘は、保育器に入って、いろいろな機材と点滴、鼻からチューブをいれられ、
泣きじゃくっていました。
2,218g、未熟児としては決して小さすぎないけれど、
私にとって、まるで手の平に乗ってしまうほど小さく思え、
私は涙で自分の子供を良く見ることが出来ず、
それがとても残念に思えました。

次の日、会社に行ったはずの夫が私の病室にあらわれました。
娘の容態が芳しくなく、緊急に手術をすることになり、
未明に呼び出されて立ち会ったんだそう。
動脈からカテーテルにてペースメーカーを装着する手術を受けたのです。
埋め込み式のペースメーカーと違い、あくまで暫定的なもの。
1週間装着の後、自力の鼓動でチアノーゼなど起こさずに順調ならば、
このまま、ペースメーカー手術をしなくてもOKということでした。

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マタニティブルー

私は丁度、術後の痛みと戦っている最中、
ペースメーカー埋め込みのための開胸手術も、
これと同様の苦しみに思え、
こんなに辛い思いを娘にさせなければならないかと思え、
また、ペースメーカーは、およそ10年に1回ほど、
電池交換のために手術をしなければならないと聞くと、
辛い手術を10年に1回もしなければならないと思ってしまい、
悲しみと心配で胸が一杯になりました。
8人部屋の病棟では、涙も流す事が出来ず、
(1回、カーテンを締め切って1日中泣きましたが)
張ってきた胸の痛みも手伝って、夜も眠れず、
かなり精神的にもまいってしまいました。

けれども、医療スタッフは全力を尽くしてくれている、
娘も頑張っているのです。
私に出来る事は、お乳を搾ってもっていくこと。
お母さんとして、しっかりすること。
あとは、祈るのみです。

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回復

娘が入院している循環器科の棟と、
私の入院している産科&小児科医療センターの棟は、
地下の通路でつながっていました。
循環器科のICUの面会時間は1日2回、
最初は、車椅子を看護婦さんに押してもらって、面会に行きました。
自分で歩行できるようになると、点滴の台を押しながら、
痛みに絶えながら一歩々々歩いて面会に行きました。

最初のうちは、ICUのなかでも、
もっとも管理の必要な患者のベッドがある、
ICU中央のナースセンターの近くに娘のベッドはありました。
これが、日がたつにつれ、だんだん、遠ざかっていきました。
症状も落ち着いて、とてもいい感じです。
途中で、鼻のチューブでなく、
哺乳瓶からおっぱいも飲めるようになりました。
娘のベッドの移動は、娘の回復を形で表しているように思えました。

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ペースメーカーがとれた!

1週間後、ICUに行って見ると、
リモコンの心電図計だけつけて、
ふつうに産着をきせられた赤ちゃんが、
ICUのはじっこのベッドに寝かされていました。
これが、私の娘でした。
娘は、この1週間の課題を見事クリアして、
ちゃんと自分の心臓の鼓動で、
血液を送れるようになったのです。

その後、私は退院し、
小児循環器科の一般病棟に移った娘に付き添い、
ほぼ1週間ほどで、退院しました。
その後の生活は、ほとんど普通の新生児の赤ちゃんと、
新米ママの生活と変わらず、
そのような出来事があったことがウソのようです。
今でも娘は、ほとんど普通のお子さんと変わらない、
健康な楽しい生活をおくっています。

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最後に

私は、このことがあって、
母が子供を産むことは、どんなに医学が進んでも、
母と子供にとって命がけである事、
そして、医療スタッフの真摯でひたむきな情熱、
看護婦さんたちの愛情を感じました。
生命というものは決して侮ってはいけない。
そして、こんなにも頑張ってくれている医療スタッフも居る事も、
忘れてはいけない。

最後に、私の忘れられないワンシーンをお話します。
ICUで、私が面会に行ったとき、
ちょうど娘に、看護婦さんがやさしく子守唄を歌ってくれていました。
私は、生まれたばかりの娘が、一人ぼっちで入院している事に、
とても心を痛めていたのでしたから、
その歌声が天使の歌声に聞こえました。
その姿は、いまでも私の脳裏に焼きついています。

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